どこかの店から、流行りの音楽が漏れ聞こえてくる。様々な人と車がひっきりなしに行き交う通りには、ポップコーンやアイスクリームを売るワゴンがあちらこちらに点在していた。等間隔に並べられた街灯に国旗がはためく。それらは全て、別々の国のものだ。
今日も活気に満ちあふれるその通りの名を、世界通りと言う。
明るい日差しが射す中、その世界通りを一台の自転車がもたもたと進んでいた。
「わわっ、ごめんなさい!」
すれ違う人とぶつかりそうになっては、その度に止まって謝罪の言葉を口にする。もう今日何回目の事かはわからなくなったが、相手の誰もが、まるで彼の存在にに気付いていないかのようにそのまま通り過ぎていってしまった。
マシュー・ウィリアムズは泣きそうにだった。しかしそこはぐっとこらえて、自転車の前かごと荷台で傾いてしまった荷物の位置を直す。途端、爽やかな香りがふわりと鼻をくすぐった。
彼の自転車は花で溢れていた。黄色、桃色、薄紫。淡い色を基調とした花達はどれも満開で、自転車からこぼれ落ちそうな量が束にされて無理矢理紐で結びつけられている。そのせいで自転車自体がさながら走る花束のようで、この状態ですら周囲に気配を感じさせないという事はむしろ彼の才能でもあった。
しかし彼自身はそのようなことに喜んでいるような場合ではなく。
「よし間に合う。きっと間に合う。間に合う、といいな……」
誰にともなく独り言を呟いて、自身の出せる全力でペダルを踏み込んだ。
その時。
ぶちっ
「え?」
すぐ後ろで嫌な音を聞いた。なんかこう、例えばだけど、植物の茎がちぎれるような音。
恐る恐る振り返る。
「この花なんつーの?綺麗だけど始めて見るしー」
金髪の青年が立っていた。片手で自分の毛先を遊びながら、もう片方の手でピンクの花を1本持って眺めている。そしてその花にはしっかりと見覚えがあった。荷台を見れば、不自然にちぎれた茎が飛び出している。
「あああああ!」
「どしたん?」
「どうしたじゃないよいやどうするのその花!これから届けるのに!」
「あ、これプレゼントだったん?プレゼントに花束なんて今時流行らんしー」
「違うよ売り物だよ!あと昨日彼女にプロポーズするって薔薇の花束買っていったお客さんに謝って!」
動転しているのはマシューだけで、相手は自分のペースを全く崩さない。
「どの色も同じ本数ずつって言われてたのにどうしよう……」
「あ、そうなん?」
青年は短く折られた花を眺めて少し考えていたが、すぐに何かを思いついたようにぱっと明るい顔になり、
「じゃあ――」
ぶちっ ぶちっ ぶちっ
「え?え?え?」
止める間もなくピンク色の花が次々と折られていく。すぐに青年の手の中に、一色で構成される丈の短い花束ができあがった。
「これでばれないと思わん?」
「無理だから!」
叫ぶと同時に、エプロンのポケットから音楽が鳴りだした。
取り出した携帯電話の時計を見て血の気が引く。慌てて通話ボタンを押した。
「はい!あの、今、えーと道が、そう道が渋滞してて!はいもうすぐ着きますのではいすみません!」
とりあえず一気にまくし立てて電話を切った。顔をあげれば青年は花束を持ち上げて一人くるくる回っていて、とりあえずその掲げられた商品を取り返しにかかる。
「とにかく返して!届けなきゃ!」
「フェリクスルール発動でこれ俺のだしー」
「いやわけわからないよ!」
素早く避ける青年の動きを追いきれるはずもなく、マシューはまた泣きそうになった。
しかしそんな、傍から見たら仲良くじゃれているようにしか見えない彼らに、突如暗い影が落ちる。
「それ、うちの?」
かけられた声の主を見上げて、二人は同時に固まった。
片方は純粋にその剣幕に恐怖して。もう片方は、その姿に見覚えがあって。
「お、お客さん!」
逆光を背負って立っていたのは、両手に買い物袋を下げた男。眼鏡の奥の表情は険しく、大きな体から惜しげもなく威圧的なオーラを放っていた。
「すみません今お宅に向かおうとしていたところで!」
「ん」
短い、唸るような返事。揃って震え上がる二人と明らかに自転車からむしり取られた花束を見比べて、その眉間の皺がさらに深くなった。
「あ、こ、これは」
「ううううちしらないし!」
「えええ!?」
完全な責任放棄にマシューが悲鳴を上げる。しかし目の前の大男はそんなやりとりを聞いているのかいないのか、二人をじっと睨みつけた。
「ひっ」
「とりあえず、二人ともまとめて」
「は、はい!」
「俺んちにこ」
それだけ言うと、ずんずんと先を歩いて行ってしまった。思わず顔を見合わせて、一瞬逃げ出そうかと試みる。しかし、
「……、」
振り返った男に眼光鋭く睨まれて、二人とも彼の後に続くしかなかった。
よく見たら、男の両手の買い物袋は花柄とひよこ柄だった。
マシューは心の中で少しだけ泣いた。
(ついにスタート。でも喫茶店が出てこない\(^0^)/)
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