「す」
走って、
「う」
踏み切って、
「さーんっ!」
思い切り飛びついた。
「フィン、なじょし」
スーさんが何か言い終わらないうちにパジャマを着た僕の全力タックルが直撃し、2人して絨毯の上に激しく倒れる。ごん、という不穏な音とうめき声が続けて聞こえてきた。
しかし今はそんな些細な事に構っている場合ではない。
「スーさん!今日って世界会議ですよね!?」
「ん」
「遅刻ですよ遅刻!」
「いんや、まだ十分早――」
「おひゃあああ部屋の時計止まってますよこれ!こっちの目覚まし時計が正しいです!ほら!ほら!」
寝室を飛び出すときに動転して握りしめてきていた目覚まし時計を差し出す。スーさんはそれを見て、リビングにかかっている大きな時計を見て、また目覚まし時計を見て、言った。
「おお」
「おおじゃないです!今回のホストってスペインさんですよね飛行機次いつだろうとりあえず僕らから持っていく予定だった資料とか議題とかだけでもあとそれから……あああもう色々どうしよう!」
頭の中でなんとかしなければいけない事がパレードをはじめてしまい、思考が上手くまとまらない。おろおろと頭を抱えていると、肩を抱えて体を起こされた。
そういえばスーさんを押し倒した体勢のままだった。
「とりあえず、連絡すんべ」
「え、あ、はい」
スーさんは僕なんかよりずっと落ち着いている。壁際に置いてあった電話の受話器を取って、覚えていたのだろう番号をダイヤルした。
僕が黙れば部屋はとても静かで、受話器から聞こえてくる陽気な声がよく響く。
「はいもしもーし?」
「もしもし、ス」
「その声はスウェーデンやんな。どしたん?」
「すまね、今日の会議、大分遅れそだ」
「別にかまわんよー。ほしたらそちらさん達に関係なさそうな議題から話しとくわ。どうせフィンランドも一緒やろ?」
「すまねぇ」
「気にせんといてぇな。連絡してくれるだけありがたいわあ」
「ん」
ああ、いい人だ。ホストがドイツさんとかじゃなくて本当によかったとこのときばかりは思った。
さらに2、3のやりとりの後、通話は終わった。
「今スペインさ」
「大体聞こえました」
「んだべか」
あまりにスーさんの雰囲気がいつも通りなので、僕の沸騰しかけていた頭も急激に冷えてきた。
とりあえず動こう。
「飛行機、何時のに間に合いますかね」
「今調べっざ」
再び電話のダイヤルを回し始めるスーさんを後目に、そういえば食べていない朝食の準備をしようと思い立つ。急ぎだし、シリアルで十分だろう。
キッチンでフレーク状のシリアルに牛乳を注いだものを2つ作り、リビングに戻る。スーさんはすでに通話を終えていた。
「飛行機どうでしたか」
「昼の便のチケットさとれた」
「ありゃ、大分遅いですね」
てっきり次の便に乗れるかと思っていたが、運悪く満席だったらしい。
「じゃあゆっくり食べますか」
「ん」
思いがけずできた空きの時間だった。シリアルをスプーンで掬いながら窓の外を見ると、もう随分陽が高い。耳を澄ませば鳥の鳴き声。最近国としての仕事が立て込んでいて、しばらくこんな時間にゆったりと朝食を食べていなかった。
ふとスーさんを見る。彼もやはり僕と同じように、窓の外の風景を眺めていた。抜けるように白い肌は陽光に照らされて暖かい色味をもち、その様子に目を奪われる。
素直に美しいと思った。
しばらくそうやって彼の顔を眺めていると、僕の視線に気がついたらしい。ちらりとこちらを見て、目が戸惑うように左右にさまよった。
なんとなくおもしろかったのでそのまましばらくじっと見つめてみた。彼はしばらくそのままの体勢で固まっていたが、やがて視線を窓から食卓にぎこちなく戻し、シリアルを口に運び、
盛大にむせた。
「だだだだ大丈夫ですか!?」
「……」
「おひゃああ!」
口を押さえて伏せた顔から見上げるように睨まれて、思わず悲鳴を上げる。
僕が震えている間に調子を取り戻したらしいスーさんは、ほとんど流し込むよう(でもすごく慎重に)に残りのシリアルを平らげた。僕も慌ててペースを合わせ、彼のすぐ後に皿を空にする。
「行ぐべ」
「え、まだ時間」
「早くて悪いことはねぇ」
食べ終わって何分も経たないのに、それだけ言って二人分の食器を重ねて立ち上がってしまう。見ればその顔が心なしか赤かった。
「あの、」
指摘したらもう一度睨まれた。
でもその時に耳まで赤くなったのを見てしまったので、どうやらむせたせいだけではないらしいと確信する。思わず頬が弛むのは我慢したが、彼が部屋を出た瞬間に堪えきれずに噴出してしまった。
「行くって言っても、まだ着替えてもいませんよー」
彼が消えたキッチンに声をかける。聞こえているはずだが返事はない。にやついてしまう頬を押さえながら、とりあえずシャツを取りに寝室へと向かった。
こんな朝も、悪くない。
いつもあったら困るけど。
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