家の外に出ると、凍てつくような吹雪がスウェーデンの頬を刺した。コートを着てくればよかったと少し後悔するが、すぐに戻るからと思い直す。
 リビングに置いてあった棚が壊れた。元々自分で作ったものだったため修理するのは簡単だが、道具を全て外の物置にしまってある。フィンランドは別にいつでもいいですよなどと言っていたがどうにも気になる性分で、寝る前に直してしまいたかった。
 風に目を細めながら夜空を見上げるが、案の定曇っていて星を見ることはできない。しかし部屋の窓から漏れる暖かい光で、足下は歩くのには不自由しない程度に照らされていた。
 家の裏手にまわり、物置の扉を手前に引いて開ける。中に入ると体をさらって行きそうだった風が一歩遠のいた。扉が家に向いていないせいか入ってくる光はほんのわずかで、中にあるものを探すには不十分だ。
 大工道具より先に懐中電灯を見つける必要がありそうだ。そう思って壁に手を伸ばしたとき、突然すごい勢いで物置の扉が閉まった。風に煽られたらしい。
 なんの前触れもなく完全な暗闇が訪れる。
 中から扉を押して開けようとするが、どこかがゆがんでしまったのかびくともしない。蝶番の様子を確かめようともしたが、手探りではどこがおかしいのかわからなかった。
「フィン」
一応呼びかけてみる。しかしこの吹雪でかき消された声が家の中まで届く事はないだろう。
 声は倉庫の中にだけ短く反響して、耳に残った。
 こうなればもう待つしかない。じきにフィンランドが迎えに来るだろう。
 倉庫にわずかに残っているスペースに腰を下ろした。苦労して大きな体を折り曲げ、背中を預けられる場所がないので膝を抱えるようにして姿勢を保つ。
 外では相変わらず強い風が吹いていて、組立式の小さな倉庫はひっきりなしにがたがたと音を立てる。じっとしていると徐々に寒さが沁みてきた。
 暗闇と風の音。この寒さ。
 こうしていると、いつだったかデンマークに狭い部屋に閉じこめられた時の事を思い出した。
 何に逆らった時のことであったかの記憶はおぼろげだ。ただ、殴られ続けた後に地下の小部屋に押し込められてたのを覚えている。そんなに昔の話ではない。
 その部屋の電球は取り払われていて、天窓も何故か塞がれていた。扉が閉まり廊下の電気が消えると、暗闇の中に取り残された。
 こういう事は普通、母親が小さな子供に対してするものだと思ったが、実際彼にとってははほとんど同じようなつもりだったのだろう。ただ違ったのは、スウェーデンの体ががほとんど動けないくらいに疲弊していたこと、そして食事も与えられずに丸2日放置されたことだ。
 その時も外はひどい吹雪で、光のない世界に倒れたまま天窓に風が吹き付ける音を聞いていた。風こそ入ってこないが部屋の空気はひどく冷たく、体温が徐々に奪われていくのがよくわかった。
 風が止む気配はない。迎えは来るだろうか。膝を抱えたまま、すぐに時間の感覚は消失した。
 寒さに体が震える。あの時と同じだ。あの時と同じなら眠ってしまったほうが早い。
 がたがた。がた。
 めまいがする。ああ、そろそろノルウェーあたりが助けに来てくれる頃か。
 体が上手く動かない。


「スーさん?」
キッチンで洗い物をしてきた僕は、誰もいないリビングで呼びかけた。
 夕食分の洗い物を済ませ、棚を修理しているはずのスーさんにとホットミルクを持ってきたのだが、当の本人が見あたらない。花たまごが乗った弾みに傾いだ棚も、まだそのまま置かれていた。
 一応風呂場や寝室、サウナまで覗いてみたが、やはりどこにもいない。玄関に置いてあった倉庫の鍵が無いことに気づき、ようやくスーさんが外から帰ってきたのを見ていない事に思い当たった。
 目当ての道具が見つからず探しているのかとも思ったが、彼が道具を取りにと言って出ていったのが大体30分前。見るとコートも帽子もハンガーにかかったままだ。いくら何でもおかしい。
 それでもそのまま探し続けているという可能性も彼ならあり得るかもしれないと思い、あわててコートを羽織って外に出た。


 倉庫の扉は閉まっていた。
「スーさん?」
 吹き付ける吹雪に負けないように声を張り上げるが、返事はない。倉庫の裏側に回ってみたがやはり人影はなく、一抹の不安を覚えた。
 鍵がかかっているか確かめようと扉に手をかけて、とっての周辺が大きくひしゃげている事に気づく。扉の板の中に隠れているはずの鍵の部品が外に飛び出して、用をなさなくなっていた。
 まさかと思って扉を力一杯引くが、わずかに軋んだ音を立てただけで一人では開けられそうにない。
「スーさん!いるんですか!?」
「フィン?」
ようやく中から返事が聞こえてきた。
「大丈夫ですか!?なんか扉が開かないので中からも押してください」
「ええがら、おめは寝でろ」
「はい?」
何を言っているのかよくわからない。中から聞こえて来る声がいつも以上に平坦なのも気にかかる。
「扉さ壊したら、おめえまでデンに怒られっぞ」
その言葉に硬直した。
 まずい。何がスイッチになったのかわからないが、昔の記憶と今が交錯している。いつの事とか、なんとなく心当たりがあった。
「僕の事はいいですから!」
「明日にはきっと、出れっさ」
「……、デンマークさんから頼まれたんです!」
正直こういう手は使いたくなかったが、とにかくここから出して暖かい部屋に連れ戻したかった。
「デンに?」
「そうです!今日デンマークさんが仕事でこっちに来れなくて僕が頼まれたんです!だから開けるの手伝ってください!」
半ばやけくそに出任せを叫ぶ。本来こういうことはノルウェーさんの役目で僕が頼まれる事なんて絶対に無かった。しかし扉の向こうに閉じこめられたスーさんはそれで納得したようで、がたがたと何かを倒しながら立ち上がる音がした。
「僕が引っ張るんで、せーので押してください!」
「ん」
「せーのっ!」
扉の脇に片足をかけて一気に体重をかける。少しの間をおいて、扉がばんと音を立てて開いた。
 反動で尻餅を着いた僕が見上げると、スーさんは倉庫の中に立ったまま外を見ていた。呆けた顔をして、まるでそこが室内の廊下でない事を不思議に思っているようだった。
「フィン」
「スーさん!」
何か聞かれる前に正面から飛びつくように抱きついた。地面と倉庫の段差もあって、ほとんど胸のあたりに顔が当たる。
 少しの間スーさんは何か考えているように動かなかったが、やがて彼の手が僕の髪の毛を梳くようにゆっくりとなぜた。
「すまね」
「とにかく、中に入りましょう」

 部屋に戻り、温め直したホットミルクを渡した。ソファに座って両手で包みこんだマグの中身を一口飲んだ頃には、大分落ち着いてきたようだった。
「もう寒くないですか」
「ん」
「ここ、どこだかわかりますか」
「……ん」
俺ん家、と言ったのを聞いてとりあえず安心する。そして、あやまらなければと思った。
「スーさん」
「ん?」
「すみません。嘘ついて」
「嘘」
「さっき、外で」
慌てていたとはいえ、ひどい出任せだったと思う。
 でも、スーさんは僕を見て、首を振った。
「ああ言っでくれなかったらきっど、出れんかっだから」
あんがと、と。呟くように彼は言った。
「早く」
「はい?」
「早く、忘れ切んねぇど」
やや下を向いて喋ったその言葉にたまらなくなって、僕はソファに乗り上げて彼の頭を胸の中で抱き込んだ。さっきとは丁度逆の位置関係は、身長差のせいでこうでもしないと実現しない。
「ゆっくりでいいです」
「……」
「僕達、時間だけはたくさん、あるんですから」
それだけ言って体を離す。
 スーさんは僕を見上げて、ようやく小さく笑顔を作った。
「そだなぃ」
「さ、シャワー先に浴びてきてください。暖まりますから」
「ん」
 マグカップを持って立ち上がった彼が、ふと振り向く。
「フィン」
「何ですか?」
「おめが一緒に来てくれて、本当にえがった」
一瞬何の話かわからなかったが、すぐにあの家出をした時の事だと気づく。
 目一杯の笑顔と答が、自然に出た。
「僕もですよ」











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