僕とスーさんが家出して、一緒に生活するようになって数週間。二人で住むには少し大きすぎるのではないかという家で、僕達は新しい生活をはじめていた。
 北国の寒さに耐えうるために壁が厚く作られた家は、それでも窓から陽光を効率よく取り込んでいて室内は明るい。暖炉の上の壁には小さな絵の入った額縁がかけられていた。いったいいつの間に買ってきたのだろうか。
 紅茶の水面はゆらゆらと揺れて、窓からの光をまだらに跳ね返している。
 少し前なら考えられなかったような平和がそこにあった。
 もちろん独立したての国にはやっかいな問題が山積していて、とても落ち着いたと言えるような状況ではない。しかし独立前のことを考えれば、今この瞬間にだけは、確かな安らぎがあった。
 ソファに深く座り紅茶のカップに手を添えたまま、ああ、平和だなあ、と声に出して呟く。少しでもこの状態を実感したかった。
「なした」
 声を掛けられて見上げれば、すぐ隣に座ったスーさんがこちらをじっと見つめている。
「いえ、どうもしてないですけど」
「ぼーっとしちょったから」
「ああ」
なんか平和でいいなあと思って、と思ったままのことを答えた。
「……そか」
「はい」
それきりまた会話もなく、二人並んで紅茶に口をつける。
 はじめのうちはこの無言の時間が落ち着かなかったが、最近では大分慣れてきた。
 彼が喋らないのは別に機嫌が悪いからというわけではない。ただ、本当に必要なことを本当に簡潔にしか口にしない人なのだ。
 そうわかってからは、この静かな時間も悪くないと思うようになった。

 しばらくそうやって無為に時間を過ごし、気が付くと二人のティーカップはどちらとも空になっていた。
 新しい紅茶をいれて、ついでに何かお菓子も持ってこようと思いつく。昨日買ってきたクッキーはどこにあっただろうか。
「スーさん、昨日の――」
言いながら隣を見て、言葉の続きを飲み込む。
 彼は眠っていた 窓からの光を浴びて、なんとも気持ちよさそうな顔で。
 腕をゆるく組んでいて、うつむき加減の頭は微動だにしない。耳を澄ませばかすかな寝息も聞こえてきた。
 こんなスーさんならちょっと可愛いかもしれない。このとき初めてそう思った。自分より一回りも大きい彼に可愛いなんて、おかしいかもしれないけれど。
 些細な用事で彼を起こすことはためらわれ、僕はできるだけソファーを軋ませないように気をつけながら立ち上がる。
 二人分のカップとティーポットをトレイに載せて、キッチンへ向かった。

 紅茶をいれ、戸棚から自力で探し出したお菓子も皿にのせて部屋に戻る。
 彼は先ほどの体勢のまま、完全に寝入っていた。しかし顔を見ると眉間に若干皺がよっている。何か変な夢でも見ているのだろうか。
 このときはまだその程度にしか思っていなかった。
「スーさん、新しい紅茶入りましたよ」
 とりあえず声を掛けながらトレイの上のものをテーブルに移した。
 ティーポット、カップ、カップ、菓子の皿。
 最後の皿をテーブルに置いた時、それは起こった。
 ことり、という音にスーさんの体がびくりと震え、その突然の動きに思わず手を止める。起きたのかと思って顔を見下ろすが、その瞼はまだ閉じられたまま。しかし眉間の皺はさらに深くなり、額にじっとりと汗までかいていた。
「スーさん?」
「……う…」
返ってくるのはかすかな呻き声のみ。もしやどこか体調でも悪いのではないかとあわててトレイを置いて彼の元へ駆け寄る。
「スーさん!大丈夫ですか!?」
「……痛……で…ん」
で、ん
 うなされた彼は確かにそう発音した。
 だとしたら、彼が見ているのは、とても、とても嫌な夢だ。
「スーさん!スーさん!」
肩をつかんで激しく揺する。頭から眼鏡がずり落ちたが気にしていられない。
 この揺さぶりが夢にどういう展開を与えたのか、彼の表情がさらに険しくなった。
 とにかく起こさなくては!
「大丈夫ですよ!デンマークさんはもういません!大丈夫です!」
「嫌……だっ、痛」
ぱし、と頬を張る。その衝撃でようやく彼は目を開けた。
 荒い息をつきながら、焦点の合わない目で僕を見上げる。
「……眼鏡」
「ここです」
二人の足元に転がっていた眼鏡を拾って渡す。髪を避けるようにうつむいてそれをかけ、再び顔を上げたときには、いつもの彼の顔に戻っていた。
「気分は悪くないですか」
「ん」
「それなら、良かったです。新しい紅茶入ってますよ」
「ん。あんがと」
多分彼は今、いつも以上に口数か少ない。何を思っているのか、その乏しい表情からでは計りきれない自分が悲しかった。
「すまねえなぃ。ちょっと、変な夢さ見てたみてぇだ」
「……ええ」
変な夢、というのがどれだけ控えめな表現であることか。
 再び隣に腰をおろすと、沈黙が訪れる。しかし先ほどのような心地よいものではなく、互いに何処か動きがぎこちない。
 彼が紅茶のカップを取る。それが戻された時、カタカタと音がして中身が少しテーブルにこぼれた。
 このとき初めてぼくは、彼が震えていることに気づいたのだった。
「あ…」
「台ふきとってきます」
「俺が」
「スーさんは座っていてください!」
遮るように言って立ち上がる。普段あまり大きな声を出さない僕の言葉に驚いたのか、彼は素直に黙った。
 キッチンに向かう途中、ソファーの後ろで立ち止まる。言おうかどうしようか少し迷って、結局口を開いた。
「いま家にいるのはスーさんと僕の二人だけですから、大丈夫です」
スーさんが振り返る。僕を見上げる顔は、今すぐにでも泣き出しそうな表情をしていた。こんな彼の顔は初めてみた。
「だから、もう、苦しまなくていいんです」

 僕も一緒に泣きそうになったけど、無理矢理笑顔をつくった。作れていただろうか。
 彼が僅かに微笑んだ気がしたから、きっとうまく出来ていたのだろうと思う。








(スーさんは受と言い張る)
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